2006年9月 5日 (火)

新宮様ご生誕とタイ王国

 明日は新宮様ご生誕の日でございます。将来の天皇誕生日になるといいですね。

 先日の読売新聞の「アジア7か国世論調査」において、一際高い好感度を示したあの国でも報道されているようです。

「男子継承者を待つ国民」 紀子さまご出産でタイ紙報道

 4日付のタイ英字紙バンコク・ポストは「男子の継承者を待つ国民」と題した記事を掲載、秋篠宮妃紀子さまのご出産は「女性の皇位継承に消極的な、保守的な人々の望みに回答を出すことになるだろう」と報じた。同紙は、秋篠宮ご夫妻がご出産前に子供の性別を知りたがっておられないことに触れた上で、秋篠宮さまがご友人に「第三子は男の子」と語ったとする週刊誌の記事を紹介した。

 また、女系・女性天皇を認めるかどうかなどの皇室典範改正問題にも言及。「保守派は(男系に継承資格を限定する)現行制度は2000年以上も続いたものだとして、改正に反対」とし「次期首相と目される安倍晋三官房長官もその一人だ」としている。(共同)

(09/04 20:36) 産経新聞

 タイ王国では天皇殿下の人気は相当なものです。

 有力紙タイ・ラット紙の読者を対象とした調査でも、先日のブミボン国王の在位60年記念祝賀行事に参加された25カ国の王族・皇族の中で両陛下は「最も感銘を受け、最も洗練されていた」という結果となり、両陛下を送迎するのに使ったベンツはその後行われた競売で最高額(3,555万円)で落札されています。

 特定アジアの江沢民元国家主席や、金大中元大統領の無礼さと比べると天と地の差ではありますが、ここで改めて「アジア7か国世論調査」の結果を見てみると、日本に対する好感度と、陛下に対する態度は一致しているようです。やはり、一国の最高権威を敬えない国民、指導者とは一生わかりあえないのかも知れませんね。

 親王殿下と内親王殿下、どちらがご生誕されてもともに喜ばしい慶事でございます。秋篠宮妃紀子殿下の無事の御出産をお祈り申し上げております。

6日の午前中は仕事に手がつかないと思う方はクリック!(人気blogランキングへ)

 今回のエントリーですが、呼称等に関して、Let's Blow! 毒吐き@てっくさんのエントリーを参考にさせていただきました。

 うちの嫁の予想では、「内親王殿下ご生誕」と出ました。紀子妃殿下のお顔が優しすぎるという理由(男の子だと、逆にきつくなるらしい)ですが、うちの娘が生まれたときも嫁の顔は十分過ぎるほど余裕が無かったのであまり当てにはなりませんね。

参考エントリー

「プラー・ニン」

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年8月31日 (木)

タシケントの桜

これはひどい偏向報道ですね。

首相が日本庭園を突然訪問 退陣目前で気の緩み?

 【タシケント30日共同】「心和むね」。小泉純一郎首相は30日午前(日本時間同日午後)、ウズベキスタン政府がタシケント市内に造った日本庭園を突然訪れ、散歩を楽しんだ。前日訪問したカザフスタンでも、予定になかったアスタナ市内の観光タワーを見学、警備関係者を慌てさせた。こうした気まぐれな行動には、9月退陣を目前にした“気の緩み”との批判も出そうだ。
 首相は日本庭園入り口近くの桜の木を見上げて「花見ができるな」。茶室では、茶器やよろいに触れ「日本をしのばせる。桜の季節には両国の友好の場所としていいな」と感想を漏らした。アヒルの親子を見つけ「かわいいなあ。カラスはいないのか。カラスにやられちゃうからな」と語る一幕もあり、リラックスした様子だった。
 庭園は、タシケント市民も散歩やデートに利用しているという。

8/30 (19:01) 共同通信

 タシケントに何故、桜があるのでしょうか?

首相、タシケントの日本人抑留者慰霊碑に献花

 【タシケント=高木桂一】ウズベキスタンを訪問した小泉純一郎首相は30日午前(日本時間同日午後)、タシケント市内にある「日本人死亡者慰霊碑」と「日本人抑留者記念碑」に訪れ、献花した。

 第二次大戦後、シベリアからウズベクに約25000人の日本人が強制移送され、過酷な労働を強いられた。このうち帰国の夢かなわず死亡した813人が国内10カ所に埋葬されている。首相が足を運んだ慰霊碑はそのひとつ。

 これに先立ち首相は、日本人抑留者が建設した「ナボイ劇場」に立ち寄り、先人たちの「遺産」に目を細めた

(08/30 20:22) 産経新聞

 このタシケントの桜は、元ウズベキスタン特命全権大使を務めた中山恭子氏が、ウズベキスタン人が現在に至るまで、日本人抑留者の埋葬された共同墓地を忘れずにいてくれたことに「人と人のつながり」を感じ、植樹を決意したものです。

 そして、今回、小泉首相が日本の首相として初めてウズベキスタンを訪れ、抑留されて亡くなった方々の慰霊碑に献花し、その後、タシケントの中央公園に訪れ「日本をしのばせる。桜の季節には両国の友好の場所としていいな」とその桜を褒めたわけです。きっと小泉首相はその桜に、遠く離れた日本とウズベキスタンとの“つながり”を見たのでしょう。

 現地で管理してくださっている方々には非常に喜んでいただけたと思いますが、これを“気の緩み”と批判される共同通信の記者さんは、いったいどのようにお考えなのでしょうか?そして産経新聞の記者さんも、ウズベキスタンが親日国とまで書いたなら、その理由もしっかり書きましょう。このような報道の仕方では、日本人のウズベキスタン人考に悪影響を及ぼすだけです。

 中山恭子氏曰く「結局、国と国のつながりは、人と人とのつながり」

 日本人捕虜が抑留中につなげたウズベキスタン人との“つながり”は、脈々と世代間に受け継がれ、それを赴任して感じた中山恭子氏が桜を植樹することで、今、小泉首相へとつながった訳です。

 ウズベキスタンでご苦労を重ね、骨を埋めた先代の功績に感謝し、今後も両国が友好関係を深め、ともに発展していくことを心から願っております。

ウズベキスタンが好きになった方はクリック!(人気blogランキングへ)

関係エントリー

中央アジアの親日国家

ウズベキスタンの桜 Book ウズベキスタンの桜

著者:中山 恭子
販売元:KTC中央出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年8月29日 (火)

中央アジアの親日国家

ウズベキスタンは中央アジアきっての親日国家だそうです。

小泉首相、ウズベキスタンへ

 【アスタナ=高木桂一】中央アジア歴訪中の小泉純一郎首相は29日午前(日本時間同日午後)、カザフスタンのアスタナから第2の訪問国ウズベキスタンの首都タシケントに政府専用機で向かう。

 首相は29日夕(同日夜)、カリモフ大統領と会談し、経済やエネルギー資源開発、国際テロ対策、北朝鮮問題などのテーマについて両国間の協力を強化していく方針を確認する見通し。首相は、米欧から非難を浴びているウズベクの民主化、人権問題について言及するとみられる。

 中央アジア5カ国で最大の人口(約2660万人)を抱えるウズベクは旧ソ連崩壊後、「中央アジアの盟主」を自任していた。しかし、ここ数年は石油景気の恩恵で経済成長を遂げているカザフの陰に隠れつつある。

 一方、ウズベクは中央アジアきっての親日国としても知られる。首相としては中央アジアの主要国であるカザフ、ウズベクとの関係強化を土台に日本の対ユーラシア外交を軌道に乗せたい考えだ。

(08/29 08:23) 産経新聞

 中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンの5カ国は、旧ソ連邦に属していた関係で反共産主義であり、日本には総じて好意的なのに対して、中共に対してはあまりいい印象はもっていません。

 中でもウズベキスタンは中央アジアきっての親日国家であり、自国の経済改革を目指すにあたり、日本の明治維新・戦後復興を手本にし、日本の発展過程を研究する為に100人を超える人材を日本に留学させています。また、ウズベキスタンの大学では300人を超える学生が日本語を学んでいるそうです。

 これに対して日本も、日本の孫崎享前大使や千野忠男前大蔵省財務官らが、熱心に経済界や政府を説得して各種経済使節団を現地に送り込んだ他、1996 年 10 月から、大蔵省の北村歳治財政金融経済研究所次長がウズベキスタンの金融アカデミー副学長として赴任するなど人的交流を進め、また、現地の日本センターを中心に日本語教室や、各種ビジネス・コースを通じて、経営の基礎を教えて経済成長の基礎を教育で支えるとともに、ODAの最大供与国として、財政面でも支えています。

 モンゴルやウズベキスタンを初めとする旧ソ連邦から独立した中央アジアの国々に親日国家が多いのには理由があります。

以下、元内閣官房参与・中川恭子氏「国際テロに遭った日本人被害者を救出するのは、日本政府の使命」(大紀元)より抜粋

>>ウズベキスタンの77%を占めるウズベク人は「日本人そっくり」の容貌をし、極めて親日的であると述べた。生活様式も畳こそなく絨毯であるが、夜は「敷き布団」「掛け布団」で就寝し、コタツで一家団欒を楽しんでいるという。現地人は「容貌だけでなくわれわれは日本人と心が似ている」と言い、日本人に対して、極めて好意的な社会だという。

 ウズベキスタンでは、1945年から46年の間、シベリア抑留日本人(POW)25000人が連行され、現地のインフラ工事に投入されたという。その日本人たちの当時の仕事ぶりはとても丁寧で、その「成果」が現在でも現地に残っており、現地人たちは当時の様子を思い出し語っているという。ウズベキスタンの首都近郊・デカバードの市長によると、現地の水力発電所に使用される巨大貯水槽は当時の日本人が「手掘り」で構築したものだという。同市は、砂漠の中のひなびた町であったが、この水力発電により緑化し、以来55年間休まず電力が供給されていると今でも感謝しているという。

 また、首都の「ナボイ劇場」も日本人捕虜が使役されて建設したものだが、当時首都近郊の「日本人強制労働収容所」近くに居住していた現地人は、「少年の頃、よく収容所の壁の隙間から、日本人収容者に自家製のパンや果物を差し入れていた」という。現地は寒暖の差が激しいために、果物の糖度は非常に高く生育する。ウズベクの家族は、祖父母が孫と暮らすという昔ながらの「三世代同居、日本人家族の原型」を現在まで保持している。壁に囲まれた大家族の各家には、「葡萄」「杏」「桜」などの木が植えられており、当時の日本人捕虜の食糧事情を心配した現地人が食糧を差し入れると、数日してこれら日本人捕虜たちは、何と手作りの「玩具」を同じ場所に置いて謝意を表明したという。これらの行為は、現地人の道徳的規範として賞賛されていたという。

 中山氏は「結局、国と国とのつながりは、人と人とのつながり」と述べ、現地では、日本人捕虜の埋葬された墓地の位置を現在でも現地人が記憶しており案内してくれているという。シベリア抑留者が「二度と思い出したくない」と言っているのに対し、ウズベク引揚者らは国内で良く連絡を取り合い、また現地に行って「ウズベク人との交流」を望んでいるという。日本大使館の調査によると、デカバード近郊の日本人共同墓地跡には、「土饅頭」が点々と有り、埋葬された人たちはみな20代の「若い日本人」であることが判明したという。中山氏は現地に桜を植えることを決意、2002年3月に桜の苗木1300本を「各日本人墓地」「タシケント中央公園」「首相官邸」などに植樹した。<<

抜粋終わり

 ソ連の捕虜となった日本人抑留者はシベリアのみならず中央アジアの国々にも送られ、主に各地のインフラ整備に従事し、今でも数多くの建築物が残っています。

 ウズベキスタンが今日、親日的でありうるのは、過去、私たちの先祖が、大東亜戦争に敗戦し、理不尽にもソ連の捕虜となって抑留され過酷な強制労働に従事させられようとも、日本人としての誇りを失わずにひたむきな努力をつづけ、逆境にあっても誠実さを失わなかったことが、現地において尊敬される日本人像として今もなお残っているからなのです。

 今日の日本の地位が、こういった方々の努力と尊い犠牲によって成り立っていることを忘れずに、未来の私たちの子孫がけして侮られることの無い様、日本人としての誇りだけは忘れずに生きていきたいものです。

“日本人としての誇り”を忘れない方はクリック!(人気blogランキングへ)

参考サイト

ウズベキスタン共和国の紹介 (日本ウズベキスタン協会)

松宮政務官のウズベキスタン訪問 (外務省)

元内閣官房参与・中山恭子氏「国際テロに遭った日本人被害者を救出するのは、日本政府の使命」 (大紀元)

ウズベキスタン日本センター (政府開発援助HP)

ウズベキスタンの桜 Book ウズベキスタンの桜

著者:中山 恭子
販売元:KTC中央出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月26日 (水)

「プラー・ニン」

今日はタイ王国と天皇陛下の話題です。

両陛下に「最も感銘」 タイ紙が王族特集

バンコク16日共同】タイで発行部数最大のタイ・ラット紙は16日までに、読者などを対象にした調査を基に、同国のプミポン国王の在位60年記念祝賀行事に出席した25カ国の王族、皇族のうち「最も感銘を受け、最も洗練されていた」のは天皇、皇后両陛下だったと報じた。
 同紙は祝賀行事に出席した各国のロイヤルファミリーの特集の中で、両陛下はタイ王室と最も関係が深く「国民が最も(訪問を)待ち望んでいたロイヤルカップル」と紹介した。
 さらに、両陛下が13日にバンコク市内のチュラロンコン大を訪問した際、大勢の市民が待ち受けたことも「まったく驚きではない」とした。

(共同通信) - 6月16日10時59分更新

タイでも愛される両陛下と天皇家。いい話ですね。で、上を裏付ける事実がこれです。

タイで両陛下送迎のベンツが競売に 最高額3555万円で落札

【バンコク=岩田智雄】タイのプミポン国王の在位60周年記念行事に招待された25カ国の王族の送迎車が23日、バンコクで競売にかけられた。24日付バンコク・ポスト紙によると、天皇、皇后両陛下が乗られたベンツが最高額である1185万バーツ(約3555万円、1バーツ=約3円)で落札された。

 この競売は、ダイムラー・クライスラー・タイが行ったもので、競売に出された車はベンツ計40台。このうち30台が落札され、タイの自動車ディーラーが両陛下の車を落札した。

 続いて高額だったのはブルネイのボルキア国王が乗った車で1120万バーツ。好男子ぶりが評判となり、タイで人気が急上昇中のブータンのワンチュク皇太子の車は1110万バーツで落札された。競売の収益金の一部である578万バーツが、病気療養中のプミポン国王に寄付される。

(07/24 13:00) 産経新聞

こうやって見てみると、タイ国民って結構王族マニアですね。そんな中でも天皇、皇后両陛下の人気は絶大です。特に天皇陛下とタイ王家は皇太子時代から交流があり、その中でも「プラー・ニン」の話は有名です。在京タイ王国大使館HPにもその記載があります。

天皇・皇后両陛下、訪タイ

2006 年 6 月 11 日~ 15 日、天皇・皇后両陛下はプミポン・アドゥンヤデート国王陛下御在位 60 周年記念式典に御臨席されるためタイを公式に御訪問されます。 

62 年間という長い年月日本国天皇に御君臨された昭和天皇の第一皇男子であられる天皇陛下は、 1989 年に御即位されました。陛下は皇后陛下と共に、障害者・高齢者・子供の生活水準を向上させるため献身的に御公務をされています。

天皇陛下は皇太子時代、 6 回タイを御訪問され、 1964 年の御訪問時にはプミポン国王陛下に栄養価の高い魚「ティラピア・ニロチカ(タイ語名:プラー・ニン)」を贈られました。後にこの魚は、栄養に偏りが見られた地方に住むタイ人及び周辺国の人々の貴重なタンパク源となりました。

天皇・皇后両陛下は、御即位後、初の外国訪問として 1991 年にタイを訪問され、また国王・王妃両陛下は 1963 年に日本を公式訪問されるなど、伝統的にタイ王室と日本皇室の間には親密な関係が築かれています。

今回、天皇・皇后両陛下はシンガポールとマレーシアにお立ち寄りになられてからタイを御訪問される予定です。

在京タイ王国大使館HPより

プラーは魚、ニンは陛下のお名前の明仁の「仁」の字からとられたそうです。そして、そのことをほとんどのタイ国民は知っており、それが天皇家の人気にもつながっているそうです。

やはり、友好国というのはこういった国を指すのでしょうね。朝日新聞や小沢代表の言うところの”アジア”にはタイが入っていないことは確かです。

隣の友好国もどきは何なのさ?と思った方はクリック!(ブログランキングへ)

| | コメント (2) | トラックバック (0)