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2006年8月19日 (土)

マスメディアの反日病理

拉致事件を描いた映画がハリウッドで公開されたそうです。

横田めぐみさん拉致題材の映画、ハリウッドでも公開

 【ロサンゼルス=古沢由紀子】北朝鮮による横田めぐみさん拉致事件を題材にした米国のドキュメンタリー映画「アブダクション(拉致) 横田めぐみ物語」の公開が18日、米ハリウッドの映画館で始まった。

 作品は米国各地の映画祭で上映されてきたが、今回、大都市の劇場で初めて公開することで来春のアカデミー賞(長編ドキュメンタリー部門)ノミネート資格を得る狙いがある。

 作品は日本でも11月に公開される。

 米国のテレビ・ドキュメンタリーなどを手がけてきたカナダ人のクリス・シェリダンさん(37)と妻のパティ・キムさん(36)が共同で監督、制作にあたった。韓国系のキムさんが2002年に拉致事件の記事をワシントン・ポスト紙で読んで驚いたのがきっかけという。

 作品は、事件を拉致被害者の家族の視点で描いた。シェリダンさんは「家族愛の物語を通し、多くの人に拉致について知ってほしい」と話す。

 すでに今年1月のスラムダンス映画祭などで賞を受けており、高く評価されている。今回の上映は24日までで、その後ほかの都市でも公開する。

(2006年8月19日10時14分  読売新聞)

 この映画はフジテレビが協力し、映像記録を提供して完成した、非常にドキュメンタリー性が強い作品です。しかし、なぜ日本ではこのような映画が作られないのでしょうか?

「パッチギ!」で「在日」描いた井筒和幸さん(映画監督キャッシュはここ

 井筒監督が30年前、奈良の高校を卒業した頃のエピソードをある講演会で語ったことがある。

 71年高校を卒業して、迷っていた頃、大阪・道頓堀で出会ったのが、大手広告代理店関連のCM会社制作室の人だった。目の二つの穴しか開いてない汗臭い縫いぐるみを着せられて、50回以上もやり直しを命じられ、ようやくOKが出た時に彼がこう言った。

 「CMづくりをやる気があるのなら、朝7時に来い。人間というのは朝7時から活動するものだ。夕方にはうまい酒が飲める。できあがったCMは全国のお茶の間を飾る。人生とはそういうものだ。お母さんに言いなさい。僕はあの中(縫いぐるみ)に入っていると」

 その究極の息苦しさの中から見つめたもの-。その後の井筒監督の作品に通底する「偽善」とか「スマートさ」とは無縁の自分をさらし尽くして生きる人間の姿だった。義理人情に厚く、裏表がなく自分らしく生きようと必死に生きる人々のたくましさ。観客らはそこに惹きつけられ、自らを投影していくのだ。

 各地で満員の観客を動員した最新作「パッチギ!」もそんな映画である。最高傑作との呼び声も高い。

 68年の京都を舞台に、在日同胞と日本人の高校生がケンカと恋に情熱をぶつける。ほぼ同年代の青春群像への監督の愛情と共感がスクリーンからほとばしる。「原作は松山猛の自伝的小説。朝鮮半島分断を嘆く『イムジン河』との出会いをつづったヒューマニティーあふれた話。そこに僕自身が聞いたり、見たりしたケンカや恋の話を入れた」

 「冒頭の朝高生たちがバスをひっくり返す話、ラストの夜の鴨川での大決戦の場面。差別からくるケンカがあの時代は絶えなかった。差別や貧しさに負けない強さが朝高生たちにはあった。その煮えたぎる怒りと悲しみを日本人はわかろうとしない。そこをきっちりと描きたかった」

 井筒監督日本社会が常に少数者を無視し、排除し、関わろうとしないことに怒りをあらわにする。

 「英国人はアイルランド問題について関心が高く、いつも熱く語り合っている。ところが、日本人は政府も含めて、朝鮮問題について長い間全然意識もせずにいた。当然、朝鮮を植民地にして、分断の根本原因を作ったことにも目を背けてきた。なのに拉致問題をきっかけに『ある日、平和な日本から人が北に連れ去られた』という物語を作り上げ、日々それを塗り替え、あげくに国交交渉どころか、経済制裁論にまでエスカレートさせてしまった」

 「パッチギ!」の中で在日の老人が強制連行や植民地支配の悲惨な体験を強く訴えるシーンがある。監督の意図は明白だ。「みんな分かっていない。日本の文学も映画もメデイアも全くインパクトがない。かつての歴史を直視せず、ゆがんだ歴史認識のままこれまできた。こんなのが、アジアで受け入れられるはずもない。妙な韓流ブームやデートのお供としか思えないような映画が幅をきかせている。僕は時流に乗らない映画を作りたかったし、若者たちが、知らなかったことに泣いて笑ってショックを受ける映画を作りたかった。心にさざ波が立たないものは本物ではない」

 地方の上映会に出席した井筒監督の下へある若い女性が泣きながら駆け寄ってきたと言う。「その女性は被差別部落出身のある男性との結婚に周囲から猛反対されて、ついに乗り越えらず、恋が覚めてしまった。なぜ、あの時彼の胸に飛び込む勇気がなかったのかと映画を観て号泣してしまったと」

 また、子息の不祥事で苦悩し、外出時には帽子を深くかぶるようになっていた役者の中村勘三郎さんは「パッチギ!」から「逃げない覚悟」を貰ったと感想を語っている。

 「もう、揺さぶられるんですよ、心が。負けない、逃げない。きれいな情熱が溢れてて、私は自分の帽子姿が嫌になってしまった(笑)。帰りには脱ぎすてていました」(朝日新聞4月24日付)

 人の苦しみに寄り添う芸術とは? 教条主義やウソではない、ピカソのゲルニカのように厳しい現実の中から生まれるものでなくてはならないと井筒監督は考えている。 

 「反日、反日と日本のメディアは洪水のように伝えているが、中国にも朝鮮半島にも過去の歴史のカタを金でつけてきただけ。北とは何もやっていない。首相が何度も平壌に行ってから話し合えばいい。いまこそ平和のための焼き肉外交をしてほしい」と。(朴日粉記者)

※渋谷アミューズほか全国順次公開中。お問い合わせ=(株)アジア映像センター TEL 03・5804・3456 (DVDの発売は7月29日より)

[朝鮮新報 2005.5.18]

去年の5月の記事ですが、現在の状況と比べると隔世の感があります。

 今、改めて読んでみると、工作員宣言にしか聞こえませんね。“知らなかったことに泣いて笑ってショックを受ける”なんて、捏造による洗脳宣言をしているようなものです。

すでに、このような“ゆがんだ歴史認識”で作り上げられた南北朝鮮と在日朝鮮人について何の感傷も湧きません。私も強くなりました。

 しかしながら、韓国系のキムさんが拉致問題にショックを受け、拉致事件のドキュメンタリーが製作されたのと比較して、日本人映画監督が“拉致問題をでっち上げだ”といって、在日朝鮮人賛美の捏造映画を製作するとは何という皮肉でしょうか。

 日本のマスメディアの反日病理の深さを見せ付けられた思いがします。そして、同時に、横田夫妻をはじめとする日本の拉致被害者の方々の苦悩も並々ならぬものがあったと思います。これで問題を感じない日本人がいるとすれば、“洗脳”を疑った方がよさそうです。

 文字の情報であれば、疑問に思ったことはその都度検索して調べれば、ある程度の“洗脳”は防ぐことができます。しかし、テレビだとそうはいきません。ダラダラ見続けているうちに情報を次々と押し込まれ、知らず知らずのうちに“洗脳”されてしまいます本人の意思に反するから“洗脳”なのです。もし、在日朝鮮人と聞いて多少の感傷を感じるのであれば、もうテレビは見ないことをお勧めします。BGM代わりに聞いていても危険なのです。

 テレビ局は反日報道をやめる気配もなく、また、それが原因で潰れることもありません。しかし、作られた罪悪感にこれ以上怯える必要はない。今、求められているのは“テレビを見ない勇気”なのかもしれません。

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以下独り言

しかしながら、「アブダクション(拉致) 横田めぐみ物語」を製作するきっかけが韓国系のキムさんという件を読んで、捏造を疑ってしまうのはちょっと行き過ぎなのかもしれませんネェ。

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